ケータイよしもと

よみもの

この若手にいろいろ訊く ボーイフレンド

インタビュー聞き手 フジジュン

第1回 「芸人って、こんな簡単になれるんだ!」の巻

――プロフィール的には“2008年結成”になってますが、二人の関係は相当長いですね。

宮川 そうですね。小中学校が一緒で、高校は別々だったんですけど、「高校卒業したら、よしもと入ろう」って話をしていたんですけど。相方が「大学に行く」と言って二人で大学を受けて、二人とも受験に失敗して(笑)。
黒沼 そのままNSCに行っても良かったんですけど、ばあちゃんが「大学行ってくれ」っていうから、僕は「浪人する」って。
宮川 それで「一緒に浪人しよう」って言うから、二人で浪人生活を始めるんですけど。僕は勉強出来ないし、正直、大学に行きたいとも思ってなかったんですよ。

――「浪人はしてみたけど俺、別に大学行きたくねぇわ!」って気付くんだ(笑)。

黒沼 それでこいつ、浪人生にとって一番大事な夏期講習の時期に、「ちょっとアフリカ行ってくるわ!」って、アフリカ行くんです。
宮川 ふとしたことでアフリカに行けることになって。あまり経験出来ることじゃないから、夏期講習より大事だろうって(笑)。
黒沼 で、僕は翌年、大学に合格して、宮川はガッツリ落ちて。


宮川 僕は暇になっちゃったんで相方の大学に遊びに行ったり、アルバイトしたりして過ごしてたんですけど。そんな時、よしもとが劇団を作るって、オーディションをやってることを知って。それは僕だけ受かって、僕だけ入団するんです。そしたら、劇団自体が9ヶ月くらいで解散してしまって。「今度はちゃんと相方とコンビでやろう」と思って、“キーストン・プロ”というお笑い事務所のオーディションを受けるんです。

――ハマカーンが所属してた事務所だよね。

宮川 はい。それでオーディションを受けたら、「すぐに入って欲しい」と言われて、「ハマカーンさんもいるし、入ろうか?」って。
黒沼 そのまま契約して、「芸人って、こんな簡単になれるんだ!」って驚きました(笑)。
宮川 それが20歳くらいだから、2005年とかですかね? それから3年くらい所属したんですけど、ハマカーンさんが「事務所を辞める」っていう話になって。目標としてた人がいなくなってしまうので、この事務所にいても仕方ないなって話になって、「じゃあ、俺たちも他の事務所に移籍しようか?」って社長に相談したんです。
黒沼 そしたら、俺らが社長に「すみません、辞めさせていただきます」って相談した瞬間に、「俺たちも俺たちも」って、所属していた芸人がみんな辞めるって言い出して(笑)。それで事務所が続けていけなくなってしまって、事務所自体が無くなってしまうんです。

――NSCに入学することになったのには、そういう経緯があったんですね。いま、キーストン時代を振り返って思うことは?

宮川 めちゃくちゃ楽しかったですよ! 事務所にはハマカーンさんたちの先輩組と同期を合わせて、所属芸人が9組しかいないんで。みんな、めちゃくちゃ仲がいいんですよ。みんなでライブのチケット売って、ライブが終わったら全員で打ち上げに行って。ワンルームみたいな事務所にみんなで詰め込んでネタ考えて、ライブの映像見ながら色々言い合って切磋琢磨して……。いま考えれば井の中の蛙だったかも知れないですけど、僕らはその環境をすごく楽しんでました。

――じゃ、ボーイフレンドが認定漫才師に選ばれた『THE MANZAI 2012』で、ハマカーンが優勝した時は嬉しかったでしょう?

宮川 テレビで見てたんですけど、もの凄い胸が熱くなりましたね! 「こんなドリームが本当にあるんだな!!」って思いました。
黒沼 僕もこれでもかってくらい泣いちゃいましたね。ずっとお世話になっていた、憧れの人ですから、たまらなかったです。

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